みなさん、「食事」が「エサ」になっていませんか?
「食べる」というのは、本能に根ざした行動なので、 幼い子どもでも無意識にできてしまいます。 だからこそないがしろにしやすく、優先順位を下げてしまい、 毎日3食「なんとなく」食べて終わり、という 日常になっている方も多いと思います。
「食事」が「エサ」になっていませんか?
胸にグサっときた。
最近でこそ自炊をして、健康に気を遣った食生活になったけど、1人暮らしをしていた20~30代の私の食生活は、それはそれは酷いものだった。
特に30代中半、仕事が多忙を極めていた時は、朝と昼はコンビニでパンやおにぎりを買い、甘いカフェオレやミルクティーで流し込みながら仕事。
夜はコンビニで野菜の入っていない唐揚げ弁当やカレーを買って帰り、夜の11時に食べる。
土日は疲れ果てて昼過ぎまで眠り、そのまま何も食べることなく夜にカレーかピザの宅配を頼んでいた。
もちろん運動もせず、体重は過去最高まで太り、しゃがんだ瞬間、履いていたパンツのボタンが飛んだ。
決しておにぎりやパン、カレーやピザが悪いのではなく、食べ方が「エサ」になっていたのが悪かったと今は反省。
私が最近弱っているのは 毎日「なんとなく」食べているからかもしれないの著者である小倉朋子さんは、半世紀にわたり食について思考、実践を繰り返し、ついには食のトータルプロデュース会社まで設立。
この本を読むと、小倉さんの「食」への深い愛がひしひしと伝わってくる。
「いただきます」と「ごちそうさま」
私は恥ずかしながら、家で食べる時は、「いただきます」と「ごちそうさま」を言うことはあまりなかった。
外食する時、友人の家で食事を振る舞ってもらった場合にはもちろん言う。
私は、この「いただきます」と「ごちそうさま」は、食事を作ってくれた人への感謝だとずっと思っていた。
そもそもこの、「いただきます」「ごちそうさま」は、日本にしかない言葉です。ほかの国にはないので、直訳できません。(中略)この言葉には、「食べ物にはすべて命があって、その命をいただく」という意味があります。食べ物の命は、豚や牛、魚といった動物性の食材だけにとどまらず、すべてに存在します。トマトも、もっとお日さまを浴びたかったかもしれませんし、にんじんも、ずっと葉っぱといっしょにいたかったかもしれません。そんな命をもぎ取って、私たちはその命を「いただく」。だから生きられる。こんなふうに、万物すべてに感謝をして食べる、世界でも希有な国なのです。
これを読んで、今までの行為を反省。
当たり前のことなのに、その当たり前のことに気づかずに過ごしていた私。
「食べる」とは、自分以外の「命」を分け与えてもらい、自分の「命」を延ばす行為。
まさしく、「食べることは生きること」。
「生きること」を疎かにしていた自分を恥じつつ、これからは「食べる」ことも大事にしたい。
そして、毎食「いただきます」と「ごちそうさま」で、頂いた「命」に感謝しようと思う。